学会員さんと胸襟を開いた対話をしたいと願うブログ

学会員さんと対話をして新興宗教の是非を語りたいと思うブログです

魔の通力と老婦人。

僕が創価学会から日顕宗に移ッて、はじめて大石寺に行って本門戒壇の大御本尊様に題目をあげた時に隣に座ってた御婦人がおもむろにカバンから一枚の紙切れを出して広げていました。


チラッと見たらその紙切れには箇条書きで、たぶんお願い事だとおもいますが、書かれていて、その紙切れを見ては御本尊様を見て、一生懸命題目をあげていました。


創価時代にもご祈念版を作って仏壇に置いていましたが、それとは少し違うものを感じました。


そして数年前に僕が折伏して日顕宗に勧誘した人がさらに勧誘した老婦人がいるのですが、その老婦人には悩みがあって、息子さんが20年以上引きこもりで社会に出れていない事がありました。


その息子さんを僕は少し知ってますが、確かに難しいと思います。ていうか無理でしょうと思う感じです。


もう40も半ばなのでさらに社会に出る事は不可能に近いのかなと。て感じですが老婦人が

あの子なんとかならないかな〜?


と言っているので、あっ!とその大石寺にいた紙切れを見ては御本尊を見てた御婦人を思い出して、


大石寺の御本尊様にお願いしてみたら?


と当たり前の素人丸出しみたいな提案をしてみました。ていうかそれしか思いつかなかったんですね。


それで、その息子さんの事だけを必死でお願いするという事で今年の春に一緒に大石寺に行きました。


なんだか何も活動してないし神頼みみたいでいいのかな〜とか思いましたが仏様は慈悲深いから大丈夫だと思って行ってきました。


チラッと見ると老婦人は言われた通り紙に書いて来てました。


それで清々しく大石寺ツアーを終えて、


今、息子さんは仕事してます。


魔の通力かもしれないけど、老婦人はとても嬉しいと思います。


ありがとう魔の通力!もうそれでもいいや!

だってだってだってだってだってなんだもん!


大晦日ですね。👍

修羅の題目と供養の題目☺️

池田先生の指導に敵を殲滅するために修羅のように祈るんです。みたいなのがあります。


僕は大聖人様に修羅みたいには接することができないので、やっぱし創価学会は難しいかなーとおもいます。


江戸時代の日寛上人はこう言ってます。


「心に本尊を信じるは意業の供養なり。口に妙法を唱えるは口業の供養なり。身に曼荼羅を礼するは身業の供養なり。」

(妙法曼荼羅供養記)


また、日寛上人は御信徒さんにこう指南しています。


「御修行の御題目十万編我等方えご供養、御信心の至り申しつくし難く候。然は貴殿の題目は我等か功徳となり、我等より授与の本尊は則貴殿の色心の功徳となり有難い事にて候。此の御本尊は一閻浮提一の本門戒壇の大御本尊を書写し奉り候。是を文字とのみ思召候ことなかれ。すぐに久遠元初の教主釈尊、末法下種の主師親の三徳日蓮大聖人の当体にして生身の御仏にてわたらせ給うと御信心なさるべく候。」


うん。凄く有り難くしっくり来ます。


僕的にはこんな感じが凄くいいです。


でも修羅の如く祈るのが好きな人はそれでもいいのかな。


まぁ、人それぞれなんでしょうね。

日顕宗の御利益は人を堕落させるかも☺️

創価の方から日顕宗の功徳を書けといわれたので少し書きます。


ちょっとその前に実は創価で功徳と言われるものは実は御利益のことなんですね。


なぜなら功徳とは積むものなんです。


功徳を積んだ結果、御利益を頂いたみたいな。


戸田会長も豆腐とオカラで説明してましたね。豆腐を作るとオカラができると。


功徳を積むと御利益が出るみたいな。だから大切なのは功徳を積むことであって、オカラを求めるのは二の次が正解なんだとおもいますが、創価ではオカラが一番なのかな?


オカラを出す信心みたいな。😆


まぁ、それはそれで良しとして、では今日はオカラ(御利益)について書きます。


まず、創価学会と日顕宗の御利益の出し方の違いから説明します。


オカラの出し方は功徳を積む事ですから、功徳を積むとはなんぞや?というと、


まずは唱題ですかね。

唱題をして功徳を積んだら御利益があると。


創価時代は御利益の出る唱題のやり方があって池田先生の指導では、


師弟誓願の題目。(目標をやり切ると誓う)

悪を滅する題目(日顕宗撲滅)。


など題目にもいろいろ条件があって時の戦いの条件に合わない唱題はあんまり御利益を出す威力が無いんですね。


それで、僕もいろいろ工夫して、3時間唱題やったり、池田先生の心を想像してやったりしてました。


じゃあ日顕宗はどうかというと、日顕宗は基本的に本門戒壇の大御本尊様が中心なんですね。


江戸時代の日寛上人(創価学会の御本尊の元になった人)はこのように言ってます。


「仮に発心が真実じゃない人でも、正しい御本尊に縁すれば功徳は猶多いのです。」

(法華取要抄文段)


「当流はたとえ信心が薄くても成仏疑いなし、下種仏を信じる故也」

(観心本尊抄日硯聞記)


「この本尊を功徳樹と名付けるなり、かくの如き無上の宝珠を辛労もなく行功も無く、但、信心口唱をもって自然にこれを受得す。故に不求自得と云うなり」

(観心本尊抄文段)


てな感じで、とりあえず題目を唱えれば、たいした信心がなくても功徳を積んで御利益がありますよ〜、なぜかと言うと、大御本尊はそれだけ慈悲深く功徳が溢れる仏様だからですよ〜と仰ってます。


そういうわけで、気楽な性格の僕は日顕宗にいます。(笑)


それで実際どうかと言うと、僕の場合はですが、こんな感じです。


創価学会 唱題10に対して御利益  3


日顕宗  唱題10に対して御利益 100


ですので、あまり欲のない僕は創価時代よりも全然題目があがりません😭😭😭


ちょっとだけで幸せになっちゃうからダラダラしてしまいます。

これではいけないとは思ってるんですが、なかなかぬるま湯から脱出できないので、


せめてブログぐらいやろうかなと!


でもブログもすぐに飽きちゃうんです。😆


こんな僕が異常なのか?


はい。異常です。☺️