池田先生の本心かも?🤔
こんばんは。
今、読者のサカイさんと楽しく対話をさせてもらってます。
創価ブログの方々は僕のことを創価ダメ出一派の創価を破壊する悪知識のように思ってるみたいですけど、全然違うんですね。
よく読んでくださいな。
特に創価学会を批判しているわけではないでしょ?
創価学会のおかしいな?と思うことを書いてるだけですし、別に日蓮正宗を宣揚してる訳でもないです。
記事の最後にどうなんでしょうね?🤔と疑問を投げかけてるだけなんだから、その疑問に答えれることが創価の正義を証明することであって、なんでもかんでも創価に疑問を持つ輩は仏敵扱いだと仏法者といえるのかな?
兎にも角にも、ただ対話をしたいだけで、創価の人をやっつけようとかというつもりはサラサラないので胸襟を開いた対話をしましょう!
学会員さんコメント待ってます!👍👍
では今日は、大御本尊を受持しないとした創価学会は大御本尊根本の日顕宗をカイダン主義と呼んだりしますが、
はたしてその程度でいいのかな?
と思いますので池田先生の指導を纏めてみたので読んでみて池田先生の心を我が心としてみて感じてください。
それではいきま〜す!
①信心とは、本門戒壇の大御本尊を信ずることである(広布と人生を語る三―九八頁)
②一生涯、大御本尊様と離れないで、大御本尊様を放さずに、まっすぐに進んでいけば、あとの指導はなにもないのです。ぜんぶふくまれます。「善に付け悪に付け法華経をすつるは地獄の業なるべし」(開目抄)です(会長講演集九―三二三頁)
③末法今時においては、「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」とおおせられた、正しき日蓮正宗の大御本尊を信ずる以外には、真の信心はありえないことを知るべきである(日蓮大聖人御書十大部講義五―二七四頁)
④「諸難ありとも疑う心なくば」とは、いかなる中傷非難にあい、逆境に置かれても「根本尊敬」「功徳聚」「輪円具足」の御当体であられる三大秘法総在の戒壇の大御本尊を絶対に疑ってはならない、捨ててはならない、との仰せである。「無疑曰信」の大信心に厳然とたつべきである(講座教学研究ニ―一二頁)
⑤大御本尊を拝まなければ、もう学会員ではないのです(会長講演集一〇―一九二頁)
⑥大御本尊様を受持し、信心していくならば、かならず仏になる、大御本尊様をもたないで、大御本尊様をもったものを誹謗すれば、かならず地獄におちる(会長講演集八―一六七頁)
⑦日蓮大聖人の御心とは何か(中略)出世の本懐として顕わされた本門戒壇の大御本尊こそ、究竟中の究竟の御心なのである。この大御本尊を否定して、いかに大聖人の御書を拝読しても、法華経を賛嘆しても、全部、大聖人の御心に背いている仏敵と断ずることができるのである(御義口伝講義上九四頁)
以上です!( ー`дー´)キリッ
う〜ん、こうなっちゃうと今の学会員さんは全て仏敵になっちゃうんじゃないのかな?
それで、大御本尊根本の僕を誹謗中傷すると地獄に落ちちゃうみたいです!😵
大御本尊から離れなければ指導なんか枝葉みたいなものみたいですが!
ちなみに池田先生は大御本尊を受持しません!とは一言も言ってませんよ。
原田会長が池田先生もいいよと言ってたと原田会長が言ってただけですもの。
さぁさぁ!池田先生の本心はどこに!
どうなんでしょうね?🤔