極悪と戦えば独善者になる。
池田先生の教えでは、悪と戦わない人間は功徳もないし、仏法者でもないし、悪を見て見ぬふりするだけで同じ悪人になり地獄に落ちると指導されています。
池田先生の書籍にも極悪と戦えば極善となる!としっかり指導されています。
ですから池田先生を信じる熱心な信者は、悪と断定したものからは何があっても絶対に引かずに戦おうとします。
でも悪ってなんですかね?(笑)
例えば、仏教の教えをあまり知らない人は悪というとこんな感じじゃないですか?
(善)仮面ライダー(悪)ショッカー
(善)ウルトラマン (悪)バルタン星人
ですからこれに当てはめると、
(善)池田先生 (悪)日顕
(善)創価学会 (悪)日顕宗
自然にこうなりますよね。
ましてや、機関紙や書籍や幹部指導や教学試験で日夜、日顕さんは、芸者遊びばっかししてるぞ!日顕さんは昔シアトルで売春したぞ!嫁さんは贅沢してるぞ!池田先生をいじめたぞ!日顕宗は登山のノルマがあって信者は辟易してるぞ!
あいつは極悪人だ!悪だ!日顕宗を撲滅するんだ!
って宣伝してるから信者は悪人といえば日顕さん、悪といえばショッカー、あっ違う日顕宗だー!となります。😆😆
ですから日顕宗と戦うことが極善であり、功徳となり成仏への道になるから逆にやらないと地獄に落ちてしまうからやラなければ!となっちゃいます。
でもちょっとそれってホントに正しいのかな?
お釈迦様と弟子たちはお釈迦様を殺そうとして教団を分裂させようとする提婆達多やアショーカ王の撲滅をやりましたか?
日蓮大聖人様と弟子たちは大聖人を迫害し教団を分裂させた東條景信や平左衛門尉、極楽寺良観の撲滅唱題会をやりましたか?
やってないですよね。
だから仏教の悪と創価の教えの悪は違うのではないでしょうか?
創価の言う悪はただの創価の敵の事なんじゃないですか?(笑)
仏教の説く悪は十悪や6大煩悩、三毒で、要するに成仏の妨げになることなんですね。
そして御書に照らして責めるべきは謗法なんですね。
だから大聖人様も法華経から人心を遠ざける念仏宗や真言宗を法門のうえから責めたわけですよね。
怒りや憎しみって、三毒じゃないですか?
それを掻き立てて、
三毒を変じて六根清浄の功徳のある御本尊様に三毒の境涯を強盛にして敵の撲滅を祈るってやばくないですか?
御本尊様である大聖人様はどう思うんでしょうね。
またそれを推奨している池田先生の哲学って間違ってるんじゃないかな〜と思うんですよ。
ですから結局、池田先生の言う極悪と戦うと独善主義になってしまうんじゃないでしょうか?
そんなふうに考えてしまう僕が異常なのか?
学会の敵は全て仏敵だ!悪だ!野垂れ死ぬまで責めぬけ!っていう創価が正しいのか。
どうなんでしょうね?🤔