福島の壮年さんへ①
福島の壮年さんコメント頂きありがとうございます。いろいろと勉強になります!ありがとうございますm(_ _)m
御本尊様の扱いについての情報など、なるほどなるほどと興味深く読ませて頂きました。
そこで、福島の壮年さんの説明で勉強になることもあれば、??の部分もありますので、少し書いてみたいと思います。
まずは壮年さんのいわれるこの部分。
»»日蓮宗総本山身延山久遠寺が奉じている本尊は、大聖人の御真筆には違いないでしょうけれど、現在の日蓮正宗総本山大石寺に御安置の大御本尊と同じように、既に「魔山」と化しているところの本尊は、大聖人御真筆ではあっても信仰の対象とはしないということですね。いやぁ、随分と明確です««
はい。わかりますよ。しかしながら僕が疑問に思っているのはそういう事ではないんですね。
要約します。
①その魔山にある信仰の対象外の御本尊も仏力法力のある本門の本尊なのか?
②魔山にある御本尊に真剣に唱題すると一生成仏の功徳はあるのか?
③仮に池田先生が御本尊を書写したら本門の本尊になるのか?
④原田会長が書写した本尊と大聖人直筆の本尊と差異はあるのか?
⑤仮に差異はないとしたら、南無妙法蓮華経 日蓮の日蓮を書き忘れたらどうか?
⑥四菩薩を書き忘れた本門の本尊になるのかどうか?
こう言うことが聞きたいんですね。
知らないなら知らないでも良いんですよ。
但し、もし知らないなら、知らない人間が信仰の対象を勝手に決めたりしても良いのか?
と疑問に思っているんですね。
だから、昔の日蓮正宗の御本尊の扱いやご供養を沢山した人間が板本尊を与えられて、金のない人間はソッポを向かれるとかの話はなるほど面白いですし歴史として勉強になりますが、僕の成仏にはなんの関係もないのです。
日寛上人の記録にはご供養とは唱題であると書いてあります。
僕は板本尊だろうが、コピーの本尊だろうが、正しい御本尊なら唱題行をご供養とすればなんの問題もないと思います。
ですから一番大事なことは正しい三大秘法かどうかなんですね。
後、日顕さんが大御本尊は偽物と言ったとか言わないとかの件ですが、
日顕さんの書籍には大御本尊は偽物だとの記載はありませんし、最後まで大石寺の法主としての勤めを全うしたので僕は日顕さんは大御本尊信仰者だと思いますよ。
仮に、日顕さんが大御本尊は偽物だと言ったとしたら、日顕さんは大御本尊を偽物だと思っているのに、大御本尊を根本にしなさいと信徒に心にも無い事をを言ってた事になります。
そうなると身口意の三業がバラバラです。
もしそれが罪になるなら、日顕さんが業を積んだだけの話ではないでしょうか?
僕の成仏には全く関係ない話です。
とかく創価学会員は他人のゴシップ記事が好きなんだな〜と感心しています。🙆