学会の御本尊を書いた人①
こんにちは。
全世界の学会員さんのお宅にある御本尊を書いた人は誰か知ってますか?
それは江戸時代の日寛上人という人です。
戸田会長は教学は日寛上人の時代に還れと指導していたように大聖人仏法を熟知している人だと言うわけです。
現在、創価学会では御本尊の作者である日寛上人については、当時の大石寺を繁栄させるために方便を使って言ってた部分と真実を言ってた部分があるから、これからは取捨選択しなければいけないと言っています。
方便といえば聞こえが良いですが要はこの日寛さんは大石寺を他宗より優位にするために嘘を言ってる部分があるというわけです。
その嘘を言ってる部分というのは成仏するためには本門戒壇の大御本尊を受持しなければならないという類の御指南です。
池田先生も本門戒壇の大御本尊を信仰し抜くなら他の指導は何もいらない!全部枝葉です!と言ってたように、日寛上人の御指南は全て本門戒壇の大御本尊を受持するところに帰着するため、日寛上人の方便はほとんど全てになっちゃうんですね。
でも僕は学会の見解を批判するつもりはありませんよ。
時代が変われば御本尊の作者の指南も方便(嘘)になっちゃうんでしょうね。
まぁそれは宗教の自由ですからいいとして、ただ僕が思うのはこの日寛さんの指南はホントに方便なのか?ということなんです。
本尊の選択は僕が成仏出来るか否かの最重要事項なので、日寛さんの指南が真実か方便かで成仏出来るか否か決まってしまうくらい切実な問題なんですね。
だからこそ慎重に検討せねばと思うわけです。
今日は日寛さんがどんな人柄なのか、遺文で探ってみます。
安心してください。本門戒壇の大御本尊以外の指南で検証してみます。
僕が好きな指南はこれです。
»(開目抄)大願をたてん。日本の国をゆずらん。法華経を捨て観教などについて後生を期せよ。父母の頸をはねん、念仏申さすば。
ひとたびこの文を拝せば涙数々降る。後代の弟子ら、当に心腑に染めるべし。«
日寛さんが、大聖人様の開目抄を拝して、あの有名な一節を読むと涙が出てきてしょうがないと!
大聖人様の御心を日寛さんは我が心に写して読んでいるのでしょう。
僕も昔、御書を読んで涙が落ちることがありました。
僕にはこんな日寛さんが大石寺の優位性を担保するために、衆生を成仏に導く御本尊のことに関して方便(嘘)を用いるとは思えないんですね。
そんなふうに考える僕はおかしい異常性格者なのでしょうか?
どうなんでしょうね?🤔