なぜ?創価を辞めると退転になるのか?🤔
創価学会では創価学会を辞めた人を退転者と呼びます。
創価学会を辞めた人は別に退転者などと差別される覚えもなくただ、理不尽な新聞販促活動や書籍の販促、チケットの販促などに嫌気がさして辞めただけの人や、
昔は本門戒壇の大御本尊様を成仏の方程式にしていたのに、その方程式を辞めたので、宗教が変わったと判断して、昔の創価学会の信仰が良いから辞めた人もいて、
それぞれ、ちゃんとした理由があるのに、
魔に負けただの、魔を見破れなかった負け犬だの言われる道理は無いと思うんですね。
新聞や書籍の販促活動ボランティアがすきで、選挙活動が楽しくて、御本尊はなんでも同じで良いと思う人はそれは創価学会で頑張って活動すれば良いと思うし、僕もそれは勝手にどうぞ!と思いますが、他人がそれを嫌がって辞めたのを差別するのは仏教者としてどうなのか?と思うんですね。
いろんな理不尽な事や、宗教の根幹を変更してるのは創価学会なんだから、それを吟味して辞めた人を退転者と呼ぶのは独善主義だと思うんですよ。
本門戒壇の大御本尊を根本にしていた創価学会が好きだから、本門戒壇の大御本尊の元へ戻った人は日蓮大聖人様から離れていないので退転者ではなく、
本門戒壇の大御本尊を受持しない団体を辞めて受持する宗派に変わっただけなんですね。
だから退転者ではなく、ただ、信仰の変わった創価学会を辞めた人だと思うんですね。
だから創価学会を卒業した人で良い思います。
卒業するまでは親身に創価に貢献したんだから素晴らしい功労者でよくないですか?
そう考えてしまう僕は異常なのか?
まっ、異常ですかね。☺️