学会員さんと胸襟を開いた対話をしたいと願うブログ

学会員さんと対話をして新興宗教の是非を語りたいと思うブログです

新興宗教の恐ろしさ😨

創価の皆様こんにちは。🥺

今日は少し皆様に聞きづらい話をします。

でも的を得てると思うので最後まで読んでください。


前回までの記事で、僕が小樽問答の実録音声を聞いた感想を書きました。


すると、支部長さんやランさんは、日達上人が小樽問答を褒めている文書や、若き日達上人が小樽問答の会場にいた事を紹介して、僕の感想とは違うから日達上人の顔に泥を塗る行為だと、言っています。


創価の皆様もそう思いますか?!!!


僕からすると、これは恐ろしい新興宗教ならではの思考ではないかと思うんです。


何故、支部長やランさんは、小樽問答の実録音声を聞いた御自分の感想を言わないで、日達上人の感想を持ち出すのでしょう?


僕は日達さんがどう思ったかなんて全く関係ないんですよ。僕が感じた感想を素直にのべただけなんですね。


日達さんが小樽問答を素晴らしい法論だと言ったら、僕は自分の本心を捻じ曲げて、小樽問答は素晴らしい法論だと思わないといけないのでしょうか?


新興宗教というのは自分が感じたこと、考えた事を抑えつけて、師匠や教祖の考えに同調しないといけないのですね。


僕はそれこそ不幸の原因だと思うんですね。


小樽問答を聞いて、素直に感想すら言えない。


そんな思考統制の土壌が創価学会にあるんだなーと昔から思っていたんですが、支部長さんやランさんの意見を聞くとやっぱりな〜と思うんですね。


僕は別に日達さんに、「僕は、小樽問答を聞いてとてもガッカリしました。」と言ったところで、日達さんは怒ったりしないと思うんですね。


それから、戸田会長の顔に泥を塗る行為だというのもおかしな話なんですね。


異体同心と言うのは成仏直道の三大秘法を信じてその三大秘法を広宣流布する事に尽きると思っているので、


戸田会長と僕は同じ御本尊を信じて広宣流布しようと思っているので、異体同心なんですね。


戸田会長の顔に泥を塗るとしたら、大御本尊を他の御本尊と同列にした学会だと思うんですよ。


小樽問答の感想を素直に述べたところで、全く問題ないと思うし、戸田会長がそれで怒るような人ならそれだけの人だと言うことなんですね。


思考を縛り付けてはいけないと思うんです。


自由に成るのが仏法ではないでしょうか?

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