池田先生の二枚舌も検証してみる(血脈編)🤔
こんばんは。
前回の記事で日顕さんと日達さんの昔の発言と今の日顕宗の発言が違うのは、喧嘩したから当たり前で、
あくまで創価学会という団体と
池田先生という人間の評価が変わったということなんですね。
いいですか?評価ですよ。人物と団体の評価が変わったんですよ。
ではこれを念頭に置いて池田先生の昔の発言と現在の創価学会の発言の相違について検証してみます。
そして、やはりキーワードは本心か社交辞令か、それとも嘘をついているかです。
いっぱいありますがまずは日顕さんの血脈について池田先生の指導から検証してみます。
昔の池田先生は日顕さんの血脈についてこう指導しています。
「広布と人生を語る』(2ー123㌻)
「第六十七世御法主日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである」
「広布と人生を語る』(8ー228㌻)
「日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである。
『広布と人生を語る』(1ー230㌻)
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」
『広布と人生を語る』(3ー117㌻)
「日蓮大聖人の仏法の教義は、あくまでも御法主上人猊下の御指南こそ根本なのである
『広布と人生を語る』(2ー123㌻)
「第六十七世御法主日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。だれ人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである」
『広布と人生を語る』(3ー42㌻)
「まことに残念であるが、御法主上人猊下に背いた十一人の僧が擯斥となった。これをみて、私どもが信心のうえでもっとも心すべきことは、『未だ得ざるを為れ得たりと謂い』との慢心であり、増上慢である」
『広布と人生を語る』(3-212㌻)
「日蓮正宗の根本たる御法主を訴えたという、この一事だけで、もはやいっさいが崩れさったことを物語っている」
『会長講演集』(4-145㌻)
「御法主上人猊下に対しては、御法主上人猊下こそ経文に説かれている遣使還告のお立場、すなわち大聖人様と拝してお仕え申し上げていくことでありました。これが唯一の学会精神であります」
『巻頭言・講義集』(3-113㌻)
「あくまでも師匠は日蓮大聖人様即御本尊様です。それから『遣使還告』あそばされる代々の御法主上人猊下です。われわれはぜんぶその弟子です」
『広布と人生を語る』(3-98㌻)
「御法主上人猊下お一人が仏法の師でいらっしゃるのだ。」
以上です。🤩🤩🤩🤩🤩🤩
あらら〜お世辞でも凄いっす〜😍
今の創価学会とは180度真逆の指導をしています。
それで、これは池田先生の本心なのか?
社交辞令なのか?
はたまた確信犯で嘘をついているのか?
これは人物や団体の評価とは違い、日顕さんに血脈相承があったか無いか!の池田先生のアンサーです。
あるとないでは大違い!(笑)
日顕さんが極悪人か善人かそんな評価は変わろうが知りませんが、問題はそこじゃなくて血脈相承があるのかないのか?
昔の池田先生の指導によれば、日顕さんの血脈相承は絶対にあった!と言っています。
今は日顕さんは血脈詐称の極悪人です。
池田先生は日顕さんの血脈詐称を知っているのに当時は血脈は絶対にある!と嘘を?嘘なのか?嘘になっちゃうんじゃないのかな?😨
をついていたのか?
それとも血脈詐称を知らないで本心で日顕さんの血脈を認めていて正信会と戦ったのか?
はたまた他に理由があるのか?
次回、本心か社交辞令か嘘かさらに検証してみます!(そろそろテレビが見たいから😆)
何かご意見ありましたら遠慮なく。
皆で検証しましょう!
ではまた、本日もありがとう〜m(_ _)m