創価学会によりて日蓮の有無はあるべし!
永遠学会の皆様こんにちは。☺️
今までの記事やコメントで、学会員さんのブログからいろいろと意見を頂いて、物凄く勉強になっています。
それで、今日は学会員さんのブログをいろいろ拝見して、学会員さんの本尊に対する考え方がだいたい理解できたので、簡単に纏めて見たいと思います。
謗法の地である大石寺に安置してある大御本尊に功徳はあるのか?
についてですが、
謗法の地にあっても大御本尊は無量無辺の功徳のある本門の本尊です。
これは、僕も学会員さんも同じ意見です。
「しかし、創価学会を批判する謗法の者が大御本尊を受持し唱題行をしても、大御本尊は功徳を発揮する事ができない。」
これが、学会員さんの答えだと思います。
僕はちょっと怖い答えだなと思うんですね。
そうなると、大聖人様の御本尊様は創価学会によって功徳がでたり出なかったり左右されると言うのですか?
日蓮によりて日本の有無はあるべし。との御本仏の御金言があるのですが、
日蓮大聖人様の仏法の魂である御本尊が創価学会によって力が無くなったり、発揮したりすると言う事ならば、
創価学会によりて日蓮の有無はあるべし。
になるんじゃないでしょうか?
これがシラフで言える事が僕には、恐ろしいほどの大増上慢に感じるんですね。
言いたい事はわかりますが、創価学会という団体によって日蓮大聖人の仏法の有無が決められるというのは日蓮大聖人を超えた力をもっていると考えられなくもないので、僕的には恐ろしい大謗法なのでは無いのかと思えます。
悩ましい問題です。